「働き方改革」では、多様な働き方として副業、兼業の推進が挙げられていました。
副業、兼業について厚生労働省のモデル就業規則が原則容認に改正されたりもして、労使ともに関心の高まりはあると思います。
先ごろ、厚生労働省は、副業・兼業に関するモデル事業を10月2日から開始すると発表しました。
公益財団法人雇用安定センターという労働移動を支援する組織があり、そこが中心となって上記事業を行うと発表しています(参照)。
事業に先立ち、同センターが行った企業に対する副業・兼業に関する調査結果も同サイトで閲覧できます。
同センターの賛助会員企業の調査で回答率もそんなに高くはないですが、今年6月~7月にかけての調査ですから、最新の企業の意識の傾向は読み取れるかなと思いますので、ちょっと読んでみました。
最近、困っている人を支援するふりをして自分たちが暴利をむさぼる、いわゆる「貧困ビジネス」というのが時々報道されています。
先週みたテレビ番組「報道特集」でもその一つの事例を取り上げていました。
コロナ禍で仕事を失い、どうにもならなくなって、ネットで見つけたある社団法人Xに助けを求めたAさんは、Xの支援を受けて生活保護を受給でき、生活保護者に対する住宅援助費用も受けられることになり、Xの紹介でアパートを借りることができました。
家賃は、住宅扶助として受けられる上限額と同額です。
しかし、このアパートはかなり古くて近隣の人たちから「よく借り手がつくね」と噂されるような物件であり、設定された家賃は相場よりもかなり高額です。
それでも、Aさんと同様にXに支援を受けた人で満室となっています。
Aさんは、最初にXの担当者に言われるままに預金通帳や印鑑、免許証、マイナンバーカードなどを預けてしまっていました。
就職活動をしようにも身分を証明するものがなく、返してもらうように要求しても返してもらえず困り果てて、Aさんのような人を支援している弁護士に相談します。
結論から言いますと、Aさんは弁護士の支援により預けたものを何とか取り返し、その後別の自治体に移ってから就職もできて、再出発できたそうです。
番組の中では、Xの実態について驚くようなことが暴かれていきます。
夏の風物詩ともいえる高校野球の全国大会が先頃終わり、慶應義塾高校(神奈川代表)がなんと107年ぶりの優勝ということで大きな話題となりました。
私も決勝戦だけは見たいと思いましたが、当事務所にはテレビがない、でも大丈夫! ABEMAテレビが無料配信してくれたので、パソコンで見ることができました。
準優勝したのは仙台育英学園高校でしたが、両校は公式戦でも戦い、練習試合もしていて交流が深いとか。監督も選手もお互いにリスペクトしあっている雰囲気が感じられ、さわやかな試合だったと思います。
慶應の監督は、「高校野球を変えたいと思ってずっとやってきた」と語っていらっしゃいました。
変えたかったのは管理を厳しくして監督の言いなりになるようなチームではなく、自ら考え主体的に練習も試合中のプレーもできる選手を育てることだということらしいです。
高校野球の選手につきものの丸刈り強制はなく、髪型は自由、選手同士の話し合いを重要視して、練習メニューなども考えさせるそうです。
高校野球はあくまでも教育の一環であることを考えれば、当然の帰結のような気がしますが、現実には、練習メニュー、試合中のプレーに自由はなく、私生活においても寮生活で規律が厳しく髪型も丸刈り強制などをしている高校が今でも主流のようです。
私は、生まれてこの方自分の国が戦争 状態にならなかったのは、本当に幸運なことだったと思っています。近年、不穏な空気も感じますが、世界のどこかで戦争が絶えない現実の中で、日本は平和だなと思います。
そんな日本もかつては戦争をしていたこともあり、それは歴史の中に埋もれつつあると思っていましたが、そんなことはなく、戦争の悲劇は世代を超えて続いていくという記事が今朝の朝日新聞にありました。
戦後、兵隊として戦っていた人たちが続々と帰国しましたが、その中には心に深い傷を負った人も多く、無気力になり満足な仕事をしなかったり酒浸りになったり、家族に暴力をふるったり子どもを虐待したり、ほとんど口をきかなくなったり笑わなかったりと、その苦しみが子や孫にまで影響を与えていたということがわかってきたという内容でした。
兵士として無抵抗な民間人に対して残虐な殺戮行為などをした体験により、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症していたらしいということが、近年になってわかってきた家族の一人が、そのような体験を語る会を立ち上げ、今年6月集会を開いたら100人ほどが集まったそうです。
かつて、陸軍病院の院長も精神疾患を患う兵士の多さを体験していて、戦後話をしていたそうですが、近年の推測では、戦争中、精神疾患となった兵士は数十万人はいるのではないかとされたそうです。
陸軍は、終戦時にそういう記録も含めて多くの記録を焼却したため、まったく闇に葬られた事案ですが、アメリカのベトナム戦争の帰還兵でPTSDを患う人が多いことがわかっていますから、そういうことがこの国にもあったと考えることが妥当でしょう。
私は、 特定社会保険労務士になるための63時間の研修を2007年に受けました。
その後、国家試験を受けて合格して「特定社会保険労務士」と名乗ることができるようになりました。
その研修の最後の3日間はグループ研修で、埼玉県内の様々な地域から来ていた10名の社労士と、一つの課題に対していっしょに意見交換して、リポートをみんなで仕上げました。
たまたまみんな2006年の登録で、いわば同期の社労士でした。
そんなわけで、そのグループのメンバーと「〇〇〇会」という名前で1、2年に一度ずつ集まって飲み会をやってきました。
コロナ禍になった2020年からは事実上の休止状態となり、昨日、4年半ぶりに会うことができました。
みんな、当時と大きく変わったようには見えませんでしたし、元気に様々な業務で活動していて、楽しくお話することができましたが、やはり寄る年波のせいか、病気や健康管理の話題が増えたような気が・・・。
でも、何よりも、みんなが元気で笑顔で会えたことは本当にうれしい限りです。
コロナ禍で休止していたこのような懇親会も少しずつ行われるようになり、私も夜の街に復活です。
とはいっても、コロナがなくなったわけではないし、まだまだ気をつけていかないといけないと思っています。
また、みんなと元気で会えるといいなと思いながらお開きとなりました。
このところ、テレビCMなどで私も名前を知っている大手中古車販売会社 の不正事件が度々報道されています。
最初は、顧客から依頼された修理について故意に傷をつけたりして本来よりも悪い状況にして直し、保険会社に過大な請求をしていた、という詐欺まがいというかそういう疑いがある話でしたが、会社の実態がいろいろと報道されるにつけ、労使関係もいびつであり、そもそも社長が会見を開かないというのも変だし、というような感じになっています。
労使関係でいえば、ノルマが厳しく社員に対してもいきなり理由も告げず解雇したり、格下げしたりということがしょっちゅう行われていたそうです。
また、何故か掃除に対しても厳しくチェックが入り、常識では考えらないような厳しい要求をしていたようで、自動販売機の上の部分を指で触り埃がついただけでダメ出しされたりして、社員はみなピリピリしていたとか。
それらは典型的なパワハラになります。
掃除は、営業所だとお客さんを迎えたりしますからきれいにするのは当然ですが、社員にそれを要求するのかはまた別問題だし、そもそもの業務内容とはちょっと違うような気もします。
普通は、清掃業者に頼んだりすることも多いのではないでしょうか。
昨日は、所属する社労士会の研究会の例会があり、このところ、諸般の事情により欠席が続いていた私も久しぶりに参加しました。
会員の皆さんのご尊顔を拝することができてうれしかったです。
その後、近くの鰻料理のお店に移動して、暑気払いの宴会を行い、大いに盛り上がって楽しいひと時となりました。
リーダーから前リーダーとして乾杯のご発声をするようにとご指名を受け、僭越ながら、乾杯の音頭をとらせていただきました。
思えば、この研究会で夜の部の懇親会をするのは2020年の新年会以来、ほぼ3年半ぶりだなと思い、その間のリーダーのご苦労、会員の皆さんのご尽力があり、新しく入会する会員もいらして、研究会の活動が続いていることに感謝を申し上げ、乾杯の発声をさせていただきました。
話し始めに不覚にも涙が出そうになって、自分でもびっくりしました。
そうか、自分の中でもくすぶっているものがあったんだなと感慨深く感じ入った次第です。
コロナ禍を経験して、引きこもり気味の生活が続いていましたが、やはり、時々は社労士仲間の皆さんと顔を合わせてとりとめもない話をするのも悪くないなと思いました。
コロナ禍になったのが2020年の上半期、3年半たってようやく通常の生活を取り戻しつつあるとはいえ、ウイルスがなくなったわけではなさそうだし、かかった人の話をちらほら聞くと「結構大変だった。かからないにこしたことはない病気」と異口同音に言うので、何となく油断してはいけない気分で過ごしています。
私の場合、基本的に外を歩くときはマスクはしない、買い物、電車、その他室内の人が多い所ではマスクをしていますが、うっかり忘れてしまうことがあります。
そんなとき、ジロジロ視線を感じることがあり、「あっ、いけない!忘れてた」とあわててマスクをすることもあります。
この3年半の間に、自分の身辺でも様々な出来事がありましたが、以前のように気楽に家族以外の人と一緒にランチをしたり、飲みに行ったりというのも考えてしまうので、自分の中で消化できないような事柄もあり、なんとなく憂鬱になるときもあります。
そして、やはりここ最近、所属する社労士会の研究会で「盟友」とも思っていた会員が研究会の例会にもなかなか出られないので退会すると言って、辞めてしまったり、私が勧誘して入会した会員が退会することになったと連絡をくれたりと、寂しいことがあったりして、ほんのちょっぴりの「プチプチ喪失感」を味うときもあります。
社労士を辞めるわけではなく、単に研究会を辞めるだけの話なのですが、やはり寂しい気持ちにはなります。