今年も残り少なくなってきました。
関与先でちょっとしたというか、結構重大というか、案件が発生して、とにかく年内に完結しようと、昨日は朝から都内3か所を回り、最後にかねてより予定していた都内での用事を済ませ、夕方事務所に戻ると、執筆のご依頼をお受けして発行を待っていた小冊子が事務所に届いていました。
今年、労働基準法の改正についてやはり小冊子を書かせていただいた(株)清文社様
発行で、前作がA5版で、少し小さかったということで、今回はB5版となりました。
ちょっと前に今年の漢字が「災」と発表されて、確かに自然災害が多かったし、先日の札幌のスプレー缶処理による爆発事故などもあって、たくさんの方々が災難に遭われました。
私もいつ被害者になってもおかしくないんだという思いを強く持つ昨今、「災」は今年らしいと思いました。
では、私の今年の漢字は何かなと考えてみると、「忙」がぴったりきます。
業務のことは守秘義務もあるし、詳細についてはあまり書かないようにしているのですが、普段、経験のない仕事などを多く経験した年でした。年明けから執筆の仕事などもいただくことが多く、資料調べなど必ず一定の時間がかかる仕事も多かったです。
「忙」ということは「学ぶ」ことでもあり、たくさん学ぶこともできました。それはとても良いことだし、総じて良い年だったのだろうと思います。
ちょっと前に「事実婚」について原稿を書かせていただいたことを記事にしました(参照) したところ、編集者の方から大手銀行の系列会社で経営者向けに発行しているメルマガに記事を転用させてほしいとの依頼があったので使わせてほしいとのご連絡をいただきました。
以前にも、他の原稿で同様のことがあったので、いいですよという話になったのですが、事実婚については関心が高いらしいとその編集者の方もメールに書いていらっしゃいました。
記事中にも書きましたが、すでに平成17年版の国民生活白書で取り上げられていて、古い結婚観に疑問を持っていたり、夫婦別姓を選択したい女性と、それを理解して尊重する男性のカップルが、事実婚を選択しているらしいということがわかります。
自民党が選択的夫婦別姓制度を少しも検討しようとせず、むしろ、家族が壊れるだの、結婚制度がおかしくなるだの、時代錯誤的な理由をつけて何もしないうちに、現実が政治を追い越して既成事実がどんどん積み重なっていくがごとくに思われます。
今朝、目覚まし時計が鳴り、目を覚ましていつものように今日の予定と天気予報をスマホで確認して、何気なくニュースサイトも見てみると、在職老齢年金を気にしなくてもいい年齢の人はこの年齢より若い人です、というコラム記事に目がとまりました。
年金制度が複雑でわかりにくいのは、改正をするたびに経過措置などを設けるため、生年月日により違うこと、年金額も支払った保険料、加入する制度により違いますし、一筋縄ではいかないということにあります。
社労士受験生だったころ、昭和61年の大改正により、原則の年金支給開始年齢を60歳から65歳に引き上げたことについて、予備校の講師の先生が、5年分の年金支給額は、平均的なサラリーマンだったら1000万円ぐらいになる、それが支給されないってひどい改正ですよ、と憤慨されていましたが、年金が亡くなるまで支給されることを考えると、平均寿命が大幅に延びている以上、そうするしかなかったかもしれないと今は思います。
私は、現役世代が納めた保険料をリタイア世代に仕送りする形式の今の賦課方式をやめて、自分が支払った分に見合って受け取れる積み立て方式にしないと無理があると思っていますが、そうなる見込みは今のところなさそうです。
先週末、かねてより観たいと思っていた映画「ボヘミアンラプソディー」を観ました。
ロックグループクィーンのボーカル、フレディ マーキュリーを主人公にした、俳優のなりきりぶりが評判の、もちろん、それだけではなく、彼らの音楽づくりの過程や、けんかしながらも仲直りして最後20分のチャリティコンサート、ライブエイドの舞台の再現へといきつくまで、2時間あまり、すごく短く感じました。
クィーンの楽曲はどれも素晴らしいのですが、やはり、フレディの歌唱力なくしてはなりたたなかっただろうし、音楽性の高さ、映画になってみて、あらためて歌詞の和訳などをみると、哲学的な命題のようなものが散りばめられていることを感じます。