FC2ブログ

おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる12年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

人が人を殺すことの重さ

裁判員裁判制度が始まってから初めて死刑が求刑された裁判の判決が、無期懲役で決着しました。
今後控訴されるかもしれませんが、この裁判は専門家でも意見が分かれるだろうと言われた死刑か無期懲役かのグレーゾーンだとされています。
最近、死刑の模様が少しづつ公開されたり、冤罪で死刑判決を受けながら何とか無罪を勝ちとり釈放された元死刑囚の方が話をしたりして、死刑の重みのようなものが実感としてわかってきつつあります。
私がこの事件の裁判員だったとしたらどうだっただろうと考えてしまいました。
遺族の方々の心情は自分が同じ立場だったらと思えば十分理解できますが、やはり無期懲役は妥当だったのではないかと感じています。

死刑というのはその犯した殺人の仕方もひどく更生の余地がない、人間性のかけらもないどうしようもない場合の刑というようなイメージがあります。
しかし、たとえどんな人であっても人が人を殺してもいいのかという疑問は消えません。
人は人を殺してはいけないとしておきながら、それが国家ならいいのか、法律にある刑罰としてならいいのか、矛盾していないだろうか。
しかし、私の家族が誰かに殺されたら、私はどう思うのだろう。
その誰かを許すことはできないかもしれない。
死刑を望むかもしれない。
人の心はある意味勝手なんですよね。いろいろに揺れ動くものなのです。
証拠と法律、法律の中には過去の判例も判例法理として判断材料になりますが、それらに基づき冷静に判断するというのが、今の時点では一番ベストなのだろうなと思います。

そういう点でこの度の結論は落ち着くところに落ち着いたのではないかと思います。
裁判員を務めた皆さんは相当な心労だったと思います。
私なんか、現場写真を見ただけでうなされそうだし、とても裁判員は務まらないだろうなと思います。
裁判員の心のケアということについてはいろいろ気を使っているようなので、大いに利用して心の疲労を取り除いていただきたいと思います。

裁判員制度ができてから、司法のプロである裁判官や検察官がわかりやすい言葉を使うよに腐心していると言われます。
死刑の実情についてメディアでも取上げられるようになり、今まで、プロにお任せで知らなかったこと、知ろうとしなかったことが目に見えてくるという効果がじわじわと現れていると思います。
今後は、やはり死刑制度についての議論がなされていくことを期待したいと思います。

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する