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おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる13年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

風化させたくない阪神大震災の悲劇

昨日は、阪神大震災があった日で神戸では追悼の催しなどもあり、メディアでも大きく取り上げられていました。
あれからもう16年かと思いました。
全く傍観者に過ぎない私にとってもあの震災が起きた日の朝のことはよく覚えています。
朝、いつものようにテレビをつけると、高速道路が途中で崩れ折れている映像が飛び込んできて、神戸で大地震があったことを知りました。
「地震で高速道路が崩れたみたいだよ」
と、寝ていた夫に言うと、彼は「えーっ」とすごい勢いで飛び起きて、テレビの前に行ったのでした。一人で設計事務所をやっている彼は、大企業の下請けとして高速道路の設計などにも携わっていたからです。
「これは大変だ」と深刻な顔で座り込んでいました。

時間を追うごとにその被害のすさまじさがテレビから伝わってきましたが、当時の社会党の村山首相の動きは非常に鈍く、後から考えると危機管理能力がなかったんだなあと思います。
テレビ画面で映し出される惨状は、人々の心を動かしボランティアで続々と人が神戸に行きました。
ボランティアに行く時間も体力もない私は夫と相談して、せめてお金だけでも出そうと、受け入れ団体に寄付しました。
映像の力というのは大きく、テレビなどで見る現地の状況は、多くの人がそうせざるを得ないような強烈な映像だったのです。
特に、地震の後に起きた火事が被害を拡大しました。
そんなことを昨日のように思い出すのですが、報道によると神戸市民のうち38%は震災後に生まれたり転入してきた人で、リアルタイムで震災を知る人がだんだん減っているということです。

時間がたつということはそういうことなんだなあと思います。
大都市での地震災害の恐さを教えてくれた震災ですが、その教訓を自分が生かしているかというと、最近は随分ルーズになってしまいました。
当時は子どももいたので、最低限の食料や飲み物など非常食を準備したり、逃げるときのリュックなど押入れのすぐ取り出せるところに入れておいたりと、いろいろ準備をしていましたが、夫婦二人となった今では、食料も缶詰などもう期限切れのものもあるのに、入れ替えもせずそのままで、何とかしないといけないと思いつつ日がたってしまいます。
ひとつだけずっと続けていることは、枕元にいつも懐中電灯、それもかなり大きい明るい目のを置いて寝ることです。
体験者の話で、地震により停電となり自分の家なのに真っ暗で何も見えなかったと聞いてからそうしています。

1月17日はやはりこの国にとって特別な日として記憶されなければいけない日なのだと思います。被害に遭われた多くの方のご冥福を祈りたいと思います。

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