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おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる13年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

人が人として育つこと

広島県の山中に16歳の少女の遺体が遺棄された事件で、被害者の友人らが逮捕されました。被害者、加害者ともにサービス業の店で働いていて金銭トラブルがあったとも報道されています。
今朝、テレビを見ていたら、加害者の一人が別の友達とライン(というのがあるそうですが)でやりとりしている内容を公表していました。
本当に死んでいるかどうかとのやりとりなど、凄惨でとてもここでは書けません。ただただ人間としての知性のなさに驚くばかりです。この子たちのまわりにまともな大人はいないのだろうか。何故、平気でそんな恐ろしいことができるように育っちゃったんだろう。
自分を顧みるに、16歳といえば人間としての根っこの部分のようなものはもう出来上がっています。
人は人を殺してはいけないという一線を軽々と超えてしまうというその内面は、どのように育
ってきたのだろうか。

人は一人では生きていけない。人との関係性の中でさまざまなことを学び経験して人間として育っていくのだと思います。人を殺すということはその関係性を断ち切ることであり、結局、自分自身も生きていけなくなってしまう。
と、理屈をいうのは簡単ですが、多くの場合、理屈ではなく感情なども混ざり人が人を殺すなんてとんでもないことという不文律が自然に身についていくものと思っていましたが、昨今はそうではないのだなと思いました。
それぞれの家庭環境など、少年事件なのであまり明らかにはならないかもしれません。
人は、生まれる環境を自分では選べないので、「人を平気で殺せる人」に育った子どもたちについても、何となく痛ましいものを感じます。
家庭環境が悪くても犯罪など犯さないのがむしろ普通で、そのような人が圧倒的に多数なのだから、結局、本人が悪いという人もいますが、家庭環境が悪い場合に、フォローできる環境が必要なのではないかと思います。
痛ましい子が一人でも減るように、人が人として育つ場を社会として提供できるようにするにはどうしたらよいんだろう。
考えこんでしまいました。

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