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おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる14年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

「金にならない勉強は遊び」と言う人がいた

昨日、ある飲み会の席で「仕事に関係ない勉強は遊びだ」という人がいました。話の流れからすると、お金を稼ぐことについて関係ない勉強は遊びだという趣旨です。
私は、経験上、どんな勉強でも役に立つし、自分を高めることに役立つことは直接的にも、間接的にも仕事の役に立つと考えています。
すぐに直接的にお金に結びつく勉強ではなくとも、いずれどこかで意外な形で役立ったりすることもあるからです。
でも、直接その発言に批判することはせず、「遊びがなくちゃ人生つまらないじゃないですか」と言ってみました。
本当は、「生きるって勉強することじゃないんですか?」ぐらい言ってあげたかったのですが、その人はこの業界での大先輩というような人だったので、ちょっと控えめにしました。

すると、「金に結びつくからみんなやるんだよ」というような内容のことを言っていたので、それ以上お話するのはやめました。
ある意味「勉強は遊びだ」は真実かもしれません。主体的に勉強することは苦しさ、大変さもあるけれど、それ以上に楽しいからです。
特に、試験なんかと全然関係なく、自分が究めたいことについて自由に自分の意思で勉強していくことほど楽しいことはありません。
しかし、前述の人の言葉の中には、金を稼ぐことに関係なく勉強することに対するある種の侮蔑がこめられているようで、私とは考え方が違うのだなと思いました。
彼の中で勉強は稼ぐためにするもので、お金に結びつかなければ意味がないことのようです。究極の勉強は遊び以上に楽しいという経験をしたことがないのでしょう。
勉強=仕事(金儲けに直結している)、それ以外は何をやっても「勉強」ではないと考えているのでしょう。

私が少女の頃から憧れるのは、夏目漱石の小説に出てくるような「高等遊民」です。経済的に不自由のない暮らしができるぐらいの財産があり、特に働かなくても暮らしていける人が純粋に知識と教養を身につけるためのみに勉強する、人からみると遊んでいるようでいて高度な教養が身についている人、そんなイメージです。
少女の頃からと言うのは、その頃、中学生から高校生ぐらいですが、盛んに本を読み特に漱石の「こころ」は何度も読んだからです。
今でも時々読み返している私の座右の書です。
ギリシアの哲学者たちも労働は奴隷にさせて考えることに精出していたらしいので、稼ぐことと勉強することというのは、私の中ではストレートには合致しません。
「高等遊民」にはなれなかったけれど、主体的に勉強することの楽しさはいつの間にか知ることができました。よかったと思います。時には考え方の違う人と話をするのも面白いものだと思った秋の夜の小さな出来事でした。


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