FC2ブログ

おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる14年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

言いたいことを言えるということ

私はNHKの朝の連続ドラマはほとんど見てませんでした。
15分ずつチマチマ?してるのがいやということもあるし、内容にそんなに興味がないということもありました。しかし、今やっている「花子とアン」は、12、3歳の少女時代に「赤毛のアン」を夢中で読んだ思い出があり、土曜日の午前中にまとめて放送する枠で時々見ていて、あらすじぐらいは追えるようになっています。
先週の土曜日の分は、ちょうど日本が太平洋戦争に突入するころの話で、英語の恩師である女学校時代のカナダ人の先生が帰国することになり、訪ねてきて、自らの愛読書である「赤毛のアン」の原書を手渡していくところを放送していました。
その後の予告篇では、空襲を受けあちこちで火の手が上がる中、この原書を大切に持って逃げるらしいということがわかり、この主人公の花子さんがいなかったら、「赤毛のアン」の翻訳もなかったかもしれないし、あってもずっと遅れて他の誰かがしたのかもしれないと思い、ちょっと感慨深いものがありました。

その週の放送の中で、この物語の中では、高慢で自己主張が強く高飛車な態度の嫌な女に描かれている作家が、従軍記者として戦地に行く壮行会のシーンもありました。
強い国を作るとか、お国のために自分のもてる力を発揮するとか、声高に主張して「〇〇先生ばんざーい」などというシーンで、誰も反論ができない雰囲気の中、花子の親友の白蓮だけは「私は、言いたいことを言って、書きたいことを書く」というようなことを言っていました。

声高に主張する人の前で、言いたいことを言わなくなってしまうというのは、現代でもよくみられる光景だなと思います。
私は、どちらかというと、言いたいことを言っちゃう方なので、言わない人の気持ちというのが、よくわからないときもありますが、声高に言う人に打ち負かされるかもしれないので言わない、変なことを言っていると思っても、声高に主張する人というのは、だいたい人の意見などきかないので、面倒だから言わない、声高に主張する人には付和雷同的に味方をする人が結構いるので、少数派になるのが目に見えているから言わない、場の雰囲気は声高に主張する人が優位な感じがするので、ここで、反対意見を言うと場の雰囲気がくずれ、声高に主張している人が怒りだし、雰囲気が悪くなるかもしれないからやめておく、そんなところでしょうか。
そういうのは、日本人の特徴なのだろうか。
日本が戦争に突入した時代も、おかしいと思っていた人はたくさんいたはずなのに、みな時代の空気の中で言えなくなっていくんですね。
前述のシーンを見て、なんか、今の時代にも似てると思いましたが、錯覚でしょうか。
言いたいことは理路整然ときちんと言える訓練を子どものころからしておくということ、それにはまず自分の頭で考え判断する能力が必要だと思いますが、今、この国に必要なことの一つではないかな、そんなことを思いました。

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する