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おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる13年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

人は亡くなっても生き続ける?

 東京都知事選は、自民党都連が一族郎党?も含めて小池候補を応援したら皆除名などとお触れを出したり、「大年増の厚化粧」との大失言などもあり、小池候補の圧勝だろうと予想していましたら、やっぱりの結果。
オヤジたちに足をひっぱられてもぶれずに頑張る女性というイメージが、有権者の共感と同情を集めたのかなと思いますが、既存の政党の敗北という感じもするし、小池候補のイメージ戦略と発信力に組織が負けたという印象もあります。
そんな中、元横綱千代の富士の訃報が報道されています。
所属する社労士会の研究会で私が尊敬する仲間の一人に、親族が名門相撲部屋の関係者として長く角界に勤めていたという会員がいて、研究会のメーリングリストで幼かった頃間近で見た千代の富士の思い出を投稿していました。
そんな投稿を読んで私がふと感じたことは、人は亡くなってもゆかりのあった人の心の中で生き続けるんだなということです。

 折にふれて亡くなった人の在りし日の面影や言った言葉などを思い出すことにより、いつまでも生き続ける。
昨日、ラジオで、人は人々から忘れられたときに完全に死んだことになるというようなことを言っていて、なるほどと思ったのです。
私の家族もよく私の亡くなった私の母の口癖や言い方のまねをして笑いのネタにしています。何故か、何べんでも言うたびにみんなで笑えるのです。
そんなときに、母は亡くなってしまったけれど私たちの心の中で生き生きと存在しているんだなと思います。
私の母だけではなく、夫の母のこともふと思い出すときがあります。
特に、お墓参りにしばらく行ってないなーというときですね。車で1時間半ほどかかる所にある夫の実家のお墓です。もちろん、夫の母はそこに眠っています。夫は長男なので、私たちが行けるうちは行かなくちゃねと私はかなり義務的に考えています。
自分自身は墓もいらん、戒名もいらんという気持ちなのですが・・。
夫の母が、生前、いっしょに行ったときに「お墓まいりすると、なんか清々しい気持ちになるのよね」と言っていたことをいつも思い出すのです。
それで、行けるうちは年に一度か二度ですが行くことを自分に課しています。
亡くなった人はけして死んではいない。
そんなことを考えている、今日は8月1日。お盆休みも間近ですね。

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