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おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる14年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

奨学金はばらまき?

 昨日、車で移動中に聞いたラジオで、新年度の奨学金についてコメンテーターが批判していました。
このコメンテーターは美術などにも造詣が深く、私が時々見ている美術館めぐりをするテレビ番組のキャスターも務めていて、ラジオでは私が共感できるような意見をよく言う人です。
文部科学省のプロジェクトチームが給付型奨学金を増やし、低所得家庭の子も経済的理由により進学を断念しないように奨学金を拡大するというものです。
ラジオを聞いた後で、ネットで調べてみると、返済不要の給付型奨学金について平成29年度から先行実施して平成30年度から本格実施するとのことで、コメンテーター氏のいっていたように月額2、3万円、正確には2万円~4万円(自宅通学とか、国立、私立で違う)となっています。
コメンテーター氏は、月額2、3万円もらったってどうしようもない、これではばらまきになりかねないと語っていました。本当に超優秀な人に対して月額20万とか25万とか学業に専念できる環境を作った方が、お金が活きてくる、1億総活躍といってもみんながみんな大学に行き進学することが活躍することにはならないと語っていました。

 無利子奨学金について低所得家庭には成績基準を撤廃することについても批判的でした。それにより、子どもの教育にいっぱいいっぱいの中所得家庭の子が、成績基準を満たし今までは何とか奨学金を受けられていたにの、受けられなくなる可能性もでてくるというものです。
成績基準の撤廃は、勉強しない、したくない子にも奨学金がいく可能性があるというわけです。低所得であるために、それが生活費に回る可能性もあり、それでは生活保護と同じになり、文部科学省の管轄ではなくなると、かなり強烈な批判です。
考え方はいわゆる「選択と集中」かなと思います。優秀で将来性のある人にできるだけお金をつぎこんで勉強してもらった方がその人にとっても社会にとってもよいというものです。
こう書くと、コメンテーター氏が冷たい人のように聞こえるかもしれませんが、そうではなく、彼は、このプロジェクトが「一億総活躍社会」の一環であることから、懐疑的な目を向けているのだろうと感じました。

勉強に向かない子もなかにはいるのに、誰でもかれでも大学に行けばいいのかということで、若いうちから技能の伝承が必要な仕事もたくさんあり、特に日本の物づくりにはそうしたものが多く、高齢化が深刻な問題になっているとも語っています。
これはばらまきで悪しき平等なのだろうか。考えさせられる問題です。
何故、みんなはそんなに大学に行きたいのか、人は学歴ではなく、その人の本質で評価されるべきなのに、実際には偏差値の高い大学を出ていると「頭いんですね」とか「すごいですね」という話になり、なにがしかの尊敬を集めることがなくならない限り、これは続くのだろうか。
大学に行って勉強することは悪いことではないし、そういう奨学金があるのは経済的理由で行けないかもしれないと思っている子たちに希望がもてるのでいいと思いますが、確かに月2~3万円では、どうにもならない額だなと思います。でも、勉強が嫌いとか、向かないとかは育った環境に大きく左右される気もします。貧困が様々な意欲を奪うということもあります。多くの国民が大学で本当に真剣に学ぶ経験を積めば、理論的な考え方ができる人が増える可能性もあるような気もします。
奨学金は、この国の社会がどうなってほしいかの問題であることに気がつきます。
税金の使い道について国民はもっと関心を持ち、精査した方がいいのだろうなと思いました。

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