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おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる14年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

読書は必要ないのか?

ちょっと前ですが、「読書は趣味と同様で楽しみたい人は楽しめばいいもので、しないからと言って批判されたりするのは違うと思う。自分は今までことさらに読書をしなくても特に不都合はなく、今は必要なときに必要なものを読んでいるが、読書を積極的にしようとは思わない。」というような内容の大学生の投書が朝日新聞にあり、それについての読者の意見などが掲載されていました。
私は、読書しない人生なんて考えられないと思う人間なのですが、人はそれぞれですから、読書したくない人がいても、特に無理に勧めようとも思いませんし、特にその人を批判するつもりもなく、「ふーん」と言う程度で読み流していました。
最近、執筆の仕事に注力しているせいかその投書のことがふと頭に浮かぶようになりました。
何故かというと、私の執筆は好き勝手なことを書くわけではなく、法令を根拠としてわかりやすく解説するようなもので、言葉の使い方がすごく大事になってくるからです。

 

 言葉をうまく使うためには言葉をたくさん知らなくてはならないのではないか。また、頭の中で内容を考えながら文章に書き記すという作業は、最初に考える作業が入ってきます。考えることは、言葉を使って考えるのですが、より広く考えるためにはたくさんの言葉を知っている、つまり語彙が豊富な方が有利なのではないか。
頭に浮かんだ内容をぴったりの言葉で表現するためには、たくさんの言葉を知っていれば、取捨選択により最適な言葉を選ぶことができるからです。
私の語彙は一体どこで得られたのだろうか。考えると、ほとんど本からとつながりのあった周りの人から得られたものです。
しゃべり言葉と文章言葉は違いますから、かなりの部分、本から得られたものかなと思います。最近では、ネットの造語なども、ほーぅ、若い人たちはこんな言葉の使い方するんだねと思うこともあり、ネット民からも言葉を教えてもらっています。

というわけで、本を読まないということは語彙が貧困になるのではないか、語彙が貧困になるということは考える内容の幅も狭くなるのではないか。
多くの人が本を読まず、語彙が貧困になり考える内容の幅が狭くなると、論理的思考が理解されなくなり、簡単明瞭な言葉だけがはびこってくるようになるのではないか。
そんなことを思いました。
私はというと、この土、日と「読みだしたら止まらない病」になり、ある大部な小説を読んでいるのですが、さすがに夜中の1時半か2時ぐらいまでがせいぜいで、徹夜はできなくなりました。
身体がついていきません。残念ですが、翌日に支障がでないように少しずつ読むしかありません。
「人は人」とはいうものの、読書の楽しさを知らずに生涯を終えるのは、やはりなんかもったいないのではないかなーと思うのでした。

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