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おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる14年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

人が人を裁くことの難しさ 「光市母子殺人事件」裁判雑感

最近は毎日のように無差別殺人だの強盗殺人だのレイプ殺人だのバラバラ事件だのと、恐ろしい事件が起こります。

私が子どもの頃はそんな事件はめったになかったんですよ。

間に企業の不祥事だの役人の横領事件などがあり、メディアがわぁーっと報道した後はパタッと報道しなくなるため、事件が消耗品化してしまい、どの事件がどうなったかなんて顛末がわからなくなる、もしくは私たち自身の関心が薄れてしまう場合が多くなったなあと思います。

そんな中で「光市母子殺人事件」はずっとメディアに報道され続け、世間の関心も高い珍しい事件だと思います。

被害者の遺族が度々メディアに登場して、その時々の心情を吐露するとともに犯罪被害者のおかれている現状をアピールしたことと、犯人が犯行当時18歳になったばかりの少年で、どの程度の刑罰が適当なのかということが世間の関心を集めたためだと思われます。

 

昨日の差し戻し審は私も注目していましたが、死刑判決が出ました。

一審、二審で無期懲役の判決が出た後、最高裁で「死刑を回避するに足りる事情があるか審理を尽くすように」として高裁に差し戻しとなった後、にわかに死刑の可能性が高まりました。

「本来なら死刑に値するのだから、それを回避するのが適当であることを立証しろ」と言われたことになるのですから。

21人という大弁護団が結成され、いわゆる「新供述」と言われる「新事実」を弁護側が主張したりしましたが、今回の判決ではかえってそれがマイナスとなったようです。

 

私もよく言われるようにこの「新供述」はあまりにも突飛だと思いました。ただ、最近いろいろなところで語られるようになった警察または検察の取調べが、とにかく犯人にしてしまうという方向で動いているという現実があります。この事件の被告が「もうどうでもいいや、はい、はい、」という感じで検察側の言いなりに供述した可能性がないわけではないとも思います。

あまりにも荒唐無稽な「新事実」ですが、もしかしたらほんの少しでも事実が含まれているかもしれない。結局それは今回の判決でも否定されていますが。

 

判決が言うように死刑を免れようとして「新供述」をでっち上げたのだとしたら、確かに反省のかけらもないということになるでしょう。しかし、それ自体、被告の人間としての未熟さでもあるといえます。

自分の犯した罪に真摯に向き合い、遺族の心情を思いやり、深く反省するということができた時に初めて被告は真の人間性を取り戻したことになるのだと思うのですが、9年間、拘置所の独房で過ごしていたということですから、そのような「教育」のチャンスはあったのか疑問が残ります。

そのような未熟な(と思われる)被告を学識も経験も豊かな裁判官が裁く、「人が人を裁く」というのはつくづく難しいなと思います。

裁判で真実を明らかにするというのは、当事者の全てが本当のことを言わない限りできないのですから、そんなところでも「人が人を裁く」のは難しいとつくづく感じました。

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