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おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる14年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

「溜め」のある社会を目指して 『反貧困』を読む

お盆休みだのオリンピックだのと世間が浮き立っている週末、「読むのが辛い、でも読まずにはいられない」という本を読みました。

『反貧困 「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書 湯浅誠著)という本です。

著者については、当ブログで過去記事にしたことがありますが、(過去記事参照)ホームレス支援をはじめとして、様々な理由で生活が立ち行かなくなった人たちの支援を続けている活動家です。

この国における貧困問題については、「格差社会」、「下流社会」、「ワーキングプア」などという言葉とともに世間に認知されつつありますが、まだまだ、「自己責任」論に終始しているような側面があります。

この本の中で、著者はそれらの言説が現実を直視していない或いは直視しようとしていないために出てくるのだということを、しっかりと書いています。

私自身が漠然と感じていたことの正体を、活動家ゆえの経験からしっかりと分析してわかりやすく書いてくれたなあと感じました。

ホームレス状態や生活困窮状態にある人たちについて、自己責任だという言い方があります。

著者はまず、この国にある様々な自己責任論の一例として、昨年話題になった人材派遣会社社長・奥谷禮子氏の発言を取り上げます。

 

発言の要約は過労死に追い込まれるような労働者に対して、

「経営者は過労死するまで働けなんて誰も言いません。ボクシングの選手と同じ自己管理の問題です。」

「自分で辛ければ休みたいと自己主張すればいいのに、変な自己規制を働かせてしまう。大変だったら休めばいいわけですよ。人に全て任せて、結果、会社が悪い、上司が悪い、何が悪いと他人のせいにしてしまう」

さらに、格差論議については、

「下流社会だの何だの、言葉遊びですよ」

「自分が努力するとか、チャレンジするとか、自分が失敗するとかいうことをそういった言葉でごまかしてしまっている、そうした風潮に関しては懸念を抱いている。」

 

この発言について、著者はあらゆる自己責任論に共通する要素がそろっていると、以下のように分析しています。

①社員には(休む)という選択肢があった、②社員はあえてそれを選択しなかった、③本人が弱く、(ボクサーのような)自己管理ができていないからだ、④それは本人の責任である、⑤社会や企業・上司(もちろん経営者を含む)の責任を問うのはお門違いであり、社会が甘やかしているだけだ。

 

例えば、フリーターについての自己責任論は、

①フリーターにはちゃんとした正社員になるという選択肢があった、②フリーターはあえてそれを選択しなかった、③本人が弱く、だらしなくて、きちんと将来設計(自己管理)ができていないからだ、④それは本人の責任である、⑤給料が安いとか雇用が不安定だとか不満を言うのはお門違いであり、社会が甘やかしているから、

となるわけです。

「ネットカフェ難民」についての自己責任論は、

①ネットカフェで暮らすようになる前に、他にアパートを維持する選択肢があったはずだ(安定した仕事につく、親に頼るなど) ②「ネットカフェ難民」はあえてそれを選択しなかった、③本人が弱くていい加減で、安易に「泊まれるから」と流れていった(自己管理ができていなかった)④それは本人の責任である、⑤お金が貯まらない、生活が大変だと不満を言うのはお門違いである、社会が甘やかしているからだ、

と展開するのです。犯罪、児童虐待、生活保護受給者などに対して、この理屈が可能であり、実際展開されていると著者は書きます。

 

奥谷発言について多くの批判が巻き起こったのは、「労働者には休むという選択肢があった」とする前提条件が間違っているのに、自己責任論を展開したためであり、貧困状態に追い込まれた人に対しての自己責任論も、選択肢がなくなり自由な選択ができなくなった人に対する批判であり、間違っているんだと著者は看破しています。

そこから、本日の題名にある「溜め」という話になるのですが、長くなりましたので明日また続きを書きたいと思います。

 

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