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おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる14年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

労働基準法再読(1)

私は当ブログを社労士としての自分の発信基地と位置づけています。

ニュースを社労士的に眺めてみたり、社労士会でのあれこれ、皆様にお知らせしたい法律のこと、時にはしょうもない身辺雑記など思えばいろいろ書いてきました。

社労士になってから自分が一番興味が持てたのはやはり労働法の分野です。

それでも過去記事を見ると労働基準法について真っ向から向き合っている記事は案外少ないですね。

自分が一番お知らせしたいのは労働基準法なのに。

ということで、これから週1回ぐらいは労働基準法について書いてみようかと思います。興味のある方はお付き合いください。

まずは歴史から入りましょう。

労働契約(雇用契約)は明治31年に施行された民法の「契約」の原則にのっとっています。

民法で言う「契約」とは、当事者双方が独立対等な関係で自由な合意に基づく関係で成立するということになっています。

しかし、「雇い、雇われ」という労働契約においては、なかなか当事者が対等な関係となるのは困難です。

雇う方は資本(設備や場所資本金などを所有している)があるけれど、雇われる方は「労働力」しかない。日々働いて生活の糧を得なければならない労働者の労働力は、貯蔵がきかず高く売れるときに売るというわけにはいかないなどという説明がなされます。

先日聞いたセミナー(講師はILO日本政府代表顧問 野川忍氏)では、「組織対一個人」であるために労働者が弱い立場となると説明されていました。

 

こういう関係で「契約自由の原則」を適用すれば、労働者側が不利になるのは当然です。かくして低賃金、長時間労働がまかり通るようになります。劣悪な労働条件による過労がもとで労働災害となっても、過失責任法理が適用され労働者は泣き寝入りするしかないということになります。

さらに、民法では期間の定めのない雇用契約について、当事者はいつでも解約の申し入れができると規定されているため、使用者の解雇権限が非常に大きく、労働者は簡単に失業してしまうという有様だったわけです。

ひどい場合は「女工哀史」(貧しい農村の若い女性を紡績工場で劣悪な労働条件で働かせる)や「たこ部屋」(炭鉱や建設現場で半ば監禁状態で働かせる)のようなことにもなりました。

 

このような事態を明治、大正、昭和初期にかけての政府もほったらかしていたというわけではなく、「工場法」、「職業紹介法」、「労働者災害扶助法」など、今日の法律の「芽」のようなものは生まれていますが、まだまだ十分なものではありませんでした。

弱い立場の労働者が組織である使用者に対抗するためには、自分たちも一個人ではなく「組織」になればいいわけです。

というわけで、労働組合運動なども起こりますが、使用者と労働者の個々の自由な取引を阻害するとして長く違法とされたのです。

第二次大戦後は以上の問題点を払拭するための法律が次々と立法化されました。

労働組合法、労働関係調整法、労働基準法、労働者災害補償保険法が昭和20年から22年の間に公布、施行されました。

 

今日の参考文献の中には戦前の労働関係について「搾取・専制の労働関係」との表現があります。

今日の日雇い派遣や非正規雇用者の実態は果たして「搾取・専制の労働関係」を脱却できているのでしょうか。長い歴史の中で、「これではいけない」という人々の思いがあって生まれてきた労働基準法です。「蟹工船」を書いた小林多喜二のように拷問の果てに若くして亡くなった人など、先人たちの思いを無駄にしないためにも、まずは知るということから始めましょう。

「知るということは選択肢をひろげること」は私のHP(参照)にもある私のキャッチフレーズです。

ということで、来週から週に1度ぐらい労働基準法の条文の中から、折々の状況などを見ながら皆様に特にお知らせしたいことを選んで記事にしていきたいと思います。

〔今日の参考文献〕菅野和夫「労働法第七版補正二版」 野川忍「わかりやすい労働契約法」

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