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おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる14年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

自分の言葉で発信することの大切さ

村上春樹氏のエルサレム賞受賞の件は以前過去記事にしました。(参照)

その時の顛末についての独占インタビュー記事が掲載されているというので、めったに買ったことのない「文藝春秋」という雑誌を買いました。

読みたいのは村上氏の記事のところだけだから、図書館という手もあったけれど、行く時間もないし当日のスピーチも日本語、英語、両方とも全文掲載されているというので買いました。

彼は自他ともに認める話すのが不得意な方の部類ということなのですが、アメリカに4年ぐらい住んだときに日本の文化的発信力の弱さを痛感したそうです。

91年から4年間で経済が好調な時期だったため、アメリカ人と話しても経済の話で終わってしまうというさびしい経験をしたそうです。

その経験から、海外の大学や文学賞に招かれて講演をすることを、不得意だけれどやらなくてはいけないと思うようになったそうです。小説家として自分の考えを伝えることが一種の責務と考えるようになったとか。

私は全く知らなかったのですが、受賞決定が公になってから辞退するべきだという声がインターネットで随分高まったそうです。

大阪のNGOから公開質問状まで突きつけられ、一部新聞からはそれに答えるべきだと求められもしたそうです。

自分でもかなり迷った末に、過去の受賞者でもイスラエルに対して批判的なスピーチをした人もいたし、その内容も公開されている、人々の前で自由に話す機会が与えられるのなら行く価値があるかもしれない、受賞を断るのはネガティブなメッセージ、出向いて話すのはポジティブなメッセージ。

常にできるだけポジティブな方を選びたいというのが基本姿勢だということ、また、この賞は国家からのものではなく、エルサレム・ブックフェアからのものであること、などで行くことを決断したとありました。

その決断の後にガザ侵攻などがあり、またまた悩むことになるのですが、結局小説家の視点で訴えることが大事だとの思いで決断したそうです。

 

スピーチには報道された「壁」と「卵」の話だけではなく、小説家としての彼の姿勢や、戦争体験者である亡き父上の話、自分達は国籍や人種や宗教を超えて一人一人の人間であり、自分達が作ったシステムである「壁」の前にはひとつの「卵」だけれど、「壁」にはない魂がある、システムが我々を作ったのではなく、我々がシステムを作ったのですとあります。

何よりも大切なのは個人なのだという氏のメッセージが伝わってきます。

 

このインタビュー記事の中で私が共感を感じたのは、受賞に対していろいろ「正論」を浴びせられたわけですが、「小説家が正しいことばかり言っていると、次第に言葉が力を失い、物語が枯れていきます。僕としては正論では収まりきらないものを、自分の言葉で訴えたかった」

というところと、シオニズムとイスラム原理主義という対立にからめて、

「人は原理主義にとりこまれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。その方が楽だからです・・・」

というところです。

特に、後者については、仕事の中で「法律」という原理原則で考えることの多い自分が、法律的にはそうでも魂のある人間としてどう考えるのかというところを大事にしたいとひそかに思っているので、何となく共感を感じました。

 

自分の言葉で何かを伝え、発信するというのは難しいものです。こんなしょうもないブログでも結構苦労することがあります。私は小説家ではないし、現実にそんな才能もないわけですから、素直に書けばよいのだと思いますが、読んだ人がどう思うかということを考えつつ書くというのは案外しんどいところもあります。

それでも、社労士として皆様に伝えたいことを発信していこうと決めたからにはやり抜こう(いつまで?自分でも決めてない)と思っています。久し振りに村上氏の文章を読みましたが、明快なのに奥が深い、相変わらず心に迫ってくるものがありました。

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