FC2ブログ

おばさん社労士の発信基地 きぼうという名の事務所です。

開業してからまる13年「発信する社労士」を目指して「独立独歩」「自主自立」の活動をつづるブログです。

スーパースターの死で考えたこと

随分前のクリスマスの頃、カーラジオから「ママがサンタにキッスした」という定番のクリスマスソングが流れてきたのを、聞くとはなしに聞いていたことがありました。

子どもの声なのですが、伸びやかでパンチがあってびっくりするほどうまい ! 聞き古された歌が魂を吹き込まれてよみがえったような感じがしました。

子どもの頃のマイケル・ジャクソンが歌っていたのですが、天才とはこういうものなんだなと納得しました。

亡くなった後何日もメディアであれこれ報道されるのはスーパースターの証拠だと思いますが、マイケル・ジャクソンもそうですね。

私は特別ファンではなかったのですが、彼の全盛期の頃の映像などは、娘がいた頃何度か見たことがありました。特にダンスにはひき付けられて「へぇー、こんなすごい人もいるのね」と惚れ惚れと眺めていました。

伸びやかでパンチのある歌と天才的なダンス、目がくりくりして可愛いし、大人になってもけして不細工な顔ではなかったし、むしろ魅力的だったのに、何故あそこまで整形して顔を変えなければならなかったのかなあと思うと、全くの私の個人的な感想ですが痛々しさを感じます。

「スリラー」の一番最初に彼がガールフレンドと話しをするシーンがあります。

パワフルな歌とダンスからはちょっとかけ離れたような弱々しいしゃべり方に私には聞こえます。

その後も、彼が人前でしゃべる映像などを見ると、いつも優しいというより弱々しいという印象がしてしまいます。

 

私は、彼のことについてはメディアで聞くだけの情報しかありませんが、ごく幼い頃から、その才能ゆえに歌とダンスのパフォーマンスを求められ、大人に囲まれて育ったと言われています。

私には彼は自分を表現するための「言葉」を獲得することができなかったんではないかという感じがします。

人と人とのコミュニケーション手段である言葉は、生まれたときからの様々な人との愛情あふれる触れ合いの中でしっかりと獲得していくものだと私は思います。

家族だけではなく、友達や近所の人、その他あらゆる人との触れ合いです。

もちろん、本を読んだりすることも必要ですが、狭い世界で限られた範囲の人とだけの触れ合いの中で育つと、その人の獲得する言葉というのは貧弱になるのではないかと私は思っています。

 

言葉を獲得するということは、自分自身を客観的に見て考えることができることにもつながります。常に自分の内面にもう1人の自分がいて、「これでいいのかな」とあれこれ言葉を発してくるのです。

自分はそれによって鍛えられ、自分を様々な角度から眺め、最後には「これでいいんだよ! 」と自分で決めることができるのだと思います。

若い頃のパフォーマンスが余りにも抜きん出ていたために、ファンはそれを期待したし、彼もそれに答えようとして大変だったのかなあなんて思いますが、彼がもっと当たり前に年をとって、50歳の酸いも甘いも噛み分ける男になって、ブルースでも歌っていたらどんなに素晴らしかっただろうと思います。

ファンでもなんでもないただの通りすがりのおばさんにまで、いろいろなことを考えさせるというところが、彼の天才たるゆえんなのでしょうね。

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する